趣味ある生活―敏雄が見た風景


愛用の尺八

尺八

  丸山敏雄は生涯に渡って尺八に親しみました。
  郷里の旧制築上中学校に奉職時代、同僚の教師に教わったのがそのはじまりです。琴古流で、なかなかの腕前に達したといいます。妻・キクも琴をたしなみ、生田流の名手といわれた腕前でした。
  敏雄が30歳のとき、勤務していた同中学の職員たちとの間で「睦会」という音楽サークルが生まれました。その世話人兼、代表者を務めた敏雄は、それぞれの家族を自宅に招き、定期的な家庭音楽会を催しました。敏雄の尺八、キクの琴。仲睦まじい合奏が聴かれたといいます。

剣舞「川中島」を披露する敏雄
舞

  写真は現存するアルバム中で最も珍しいシーンといえる1枚。
  昭和25年5月5日、敏雄58歳の誕生祝賀会の一場面です。弟子たちも総出演して、それぞれ余興を振る舞ったといいます。
  主役自らは、妻(背後)の詩吟とともに剣舞「川中島」を初披露。決して舞が得意だったわけではなく、「苦手に取り組む」を宣してのチャレンジでした。
  鉢巻をし、木刀を腰に差し扇子を持って、にわか芸ながら懸命に舞い、集まった人々を楽しませました。「余興のようなことにも全力を尽くせ!」が敏雄の口癖だったといいます。

素謡の会で謡う敏雄

謡曲

  まだ郷里の八屋小学校に奉職していた23歳のとき、町の眼科医の強い勧めで、その人に習い始めたのが謡曲です。流派は宝生流。その後入学した広島高等師範学校では、奇遇にも校長が宝生流の大家でした。恵まれた環境で集中して勉強できた敏雄は、ついに級友たちへの指南役を務めるまでになりました。
  晩年は、親しい同好者と共に、市川新世会館(千葉県市川市真間にあった、敏雄が創作に打ち込んだ場所)でしばしば素謡の会を催しました。

釣りに出かけた写真
鰻釣り

  敏雄の唯一のかくし芸は意外にも「鰻釣り」でした。
  方法は穴釣りという独特のもので、細い竹の先端に針を付け、餌のミミズを刺して、岩陰の穴に突っ込みます。ミミズが竹棒を動かすうちに、食いついてきたらすかさず引き上げるのです。
  のち、長崎、広島、大阪、奥多摩でも、それぞれの地で鰻釣りを楽しみました。